18歳の春、浪人をして名古屋の代ゼミの寮へ入った。
突然ですけど、
浪人ってしたことあります? どうだったですか? ないのでしたら、 もし浪人になったとしたら、どんな感じだと思いますか?
ちょっとだけ、思いを巡らせていただきたいなって。。。
僕の場合は何か「日の当たらない場所で生きなきゃいけない」っていう落伍感に付きまとわれました。真面目な優等生として18年間レールの上で生きてきたのに、「突如として道を踏み外した感」がすごかった。
「俺ってどうせアウトロー。地を這いつくばって、めっちゃ悪いことしたとしても、しぶとく生き抜いてやるわ。たった一人になってもな!」
って、そんな風なことを考えたりしました。 ていうか、どうやって生きていったらいいのか、分からなくなっちゃった。
勉強しなくっちゃいけないのに、全く手につかない。アクセル全開だけど、ブレーキも全開。焦ってばかりで結局何も出来なかった。
浜田省吾の『19のままさ』をよく聞きました。
「 受験日はそこまできてるのに~ なんにも~手につ~かず~♬ 」
この詩がすげーよく分かった。
やる気はあるのに勉強できない。苦しかった。 勉強をせずに延々とCDをカセットテープに編集してみたり、何するわけでもなく名古屋の街を昼から夕方までふらつきまわったり、せめてもの言い訳として書店で参考書を見たりしてた。長いときは5時間くらい本屋にいた。
毎日毎日、名古屋駅北口の地下二階にある三省堂に行って、最低1時間は本を睨んでた。なんにも出来ないくせに人生がかかっているのは分かってたから。なんにもしてなくても、いつも真剣だった。
なんで本屋なのかって言ったら、本屋になら「何かとてつもない衝撃」があるかもしれないって感じてたから。どうしようもない僕を救ってくれる何かが。
そしてある日、三省堂で出会った本。それが僕の人生を変えたはじめての本になった。
その本は今をときめく天才・落合陽一氏の親父、伝説のハードボイルド「落合信彦」の本。その名も『狼たちへの伝言』だ。
僕の父母は本当に普通の人だった。両親ともに大学に行ってないけど、なんともハートフルな家庭を作ってくれてた。もちろん大大大反抗期の19歳だから、親父とは取っ組み合いの喧嘩もよくしてたし、お母さんはヒスって、自宅にいた頃は二階の明かりが消えていようものなら、「何やってんだ!勉強しろ!!」って毎日部屋に怒鳴り込んできた。常に監視してたのだ(怖)。
でも当時、「普通に働いてハートフルな家庭を築くことが出来れば何も言うことはない」って心底思ってた。大学へ行って、サラリーマンになれば親父以上のいい暮しが出来る。大学を出てみて、全くそんなことは無かったけど当時は心底そう信じてた。理想の生活が大学にあるって思ってた。ハートフルな生活をするために、気がおかしくなるほど勉強しようとした。
で、落合信彦の本に何が書いてあったか。 ハートフル💛ナンバーワンの僕にとって、こいつが衝撃だった。
「なんの野心もないブタは死ね」 「防御的なやつに面白いやつなんて一人もいない」
今までの僕では考えられない、ありえない超絶怒涛の肉食ワードのオンパレードだった。
だけど俺は思ったね。
「俺に足りなかったのはこれだ!!」 「なんかいまいちパッとしないのも、まあまあのいじめられキャラなのも、モテないのも、顔が悪いのも全部これが足りなかったもんでだ!!!」
まさに天からの啓示だった。それから俺の目標は、「ハートフルなうちのお父さん」じゃなくって、「全盛期のホリエモンみたいな、世界の革命児」に変わった。
とにかく「攻撃的なやつじゃなきゃ面白くない」って落合信彦が言うもんだから、何をしたかって言うと、 ・目つきを悪くした ・コンタクトにした ・寮の狭い廊下で人とすれ違うときも「絶対道を譲らない」ってしてた。 そんな血の滲むような努力を始めたわけだ。勉強せずに。
だから結局、 「 受験日はそこまできてるのに~ なんにも~手につ~かず~♬ 」 のままだった。
目つきを怖くしても、もともとガリ勉だからホントに怖そうな奴には速攻で道を譲った。
結局3年浪人させてもらって、やっと京都の大学に入学することが出来たけど、性格が悪くなっちゃったもんで、からきしモテなかった。斜に構えてるもんで就職が決まったのも大学を卒業して4月に入ってからだったりした。
https://www.youtube.com/watch?v=Wdflz02Ykws『19のままさ』浜田省吾
だけど、この本には「ギラギラな野心」を植え付けてもらったんだ。こいつには感謝してる。やっぱ、起業家らしくていいよね!
何の脈絡もないけど、遥奈さん。いっつも美しい!
お読みいただきまして誠にありがとうございますm(__)m めっちゃ嬉しいです(^^♪
学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)